この度、2008年発表の「マンガ大賞」の選考委員に選ばれた、増山寿史さん(26)は、映画、舞台、音楽と、精力的に活動中。知っている人は知っている各界注目の男である。12月に行われる舞台「〜カッコワライ(笑)〜」を前に、謎のマルチクリエイターの素顔に迫ってみたい。(文責:吉田直人)
個性を磨くために、ご飯を我慢してでも映画を観ていた
初めて会ったとき、舞台の上で演技をしていたため、役者や演劇関係の活動をしている人かと思ったが、彼は仕事としては映画関係のことしかしてきていないという。2002年から2006年までは東京国際映画祭に関わってきた。「高校時代から自主制作で映画を撮ってきたのですが、舞台は反応がダイレクトに返ってくるなぁっと思って。まだはじめたばかりなんですよ」。そんな彼の青春時代はどんなものだったのだろうか?
男子校だった。「魚が食いたくても山のてっぺん」。女性のいない学生生活。勉強ができるわけでも、スポーツが得意なわけでもない自分が努力しないで個性を磨くことはできないかと考えて映画を観始める。「ご飯を我慢してでも観ていた」。文化的な世界の刺激を受けていくのだった。
大学に入学した増山さんは「人生最大の暗黒期」を迎える。あんなに憧れていたはずの女性のいる世界のはずが、免疫がなかったために女性とうまく話せず「こわいっ!」となってしまったという。ちゃらちゃらしたくてもできない。アルバイトも長続きせず、半年間は家からもろくに出ずにアメリカンニューシネマを観ては、登場するはぐれ者がはぐれ者のまま終わっていく姿に自己を投影してカタルシスを感じる日々。「でも、このころ観狂った映画や本が今も一番心には残っている」と当時を振り返る。
「どんなことも『エンターテイメント』でなくてはいけない」
そんな彼の転機は、秋からはじめたミニシアターでのアルバイトだった。あれほど恐怖していた女性とも話せるようになる。楽しく安定した日々の中で「クリエイティブ」な心は姿を消していた。映画は観つづけていたが、完全に享受する側の心持ち。
ところが、失恋により再び暗黒時代が訪れることになる。「あのころの凶暴な自分が帰ってきた」。昔の自分の作品を引っ張り出して見返す。「今の自分ならもっといいものが撮れるはず」。そう考え、モテない男を集めて撮った映画「祭りのまえ」(2003)。このときのメンバーで2年後に演劇ユニット「アンチバッティングセンター」をやることになるとは、そのときは誰も知らない。
映画製作、演劇脚本の執筆、役者、バンドではベースなどなど…増山さんの活動は多岐にわたっていが、さらに毎年「マスロックフェスティバル」というイベントも開いている。ただの自宅パーティとあなどることなかれ、果てしなく凝り性の増山さん特製「モテすごろく」は人生ゲームの域を超えているほどの完成度で毎回大好評。細かいところまで考えぬかれたタイムテーブルで参加した人びとをもてなしてくれる。「どんなことも『エンターテイメント』でなくてはいけない」。人を楽しませたいといつも考えている彼の信念が垣間見える。
増山さんいわく、「ポップであるということは『売れ線』ということではなく、客を意識しているということ」。映画でも本でも、長い月日が経って、なおも人びとから愛されつづけるような名作はポップなものなのだ。
「モテないことが原動力です」。現実に満足しない渇望が、彼をどこまでもクリエイティブな活動へと押し進めていくのだろう。「クリエイティブ」という言葉がオシャレにとらえられている昨今、増山さんはその本来の意味を教えてくれる。
「10年遅れの“グミ・チョコ・パイン”ですよ。高校時代できなかったことを今はできている。30年後に今と同じことができていたら楽しいだろうなぁって思う。あとはあわよくばモテたい!!」
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【略歴】
1981年10月7日生 26歳 神奈川県川崎市出身、在住 川崎市立東門前小学校→明治大学付属明治中学校→明治大学明治高等学校→明治大学文学部文芸学科→東京国際映画祭事務局→映画館アルバイト【星座】天秤座【血液型】B型【家族構成】父母祖母【趣味】道行く人にあだ名をつけること【好きな食べ物】ままどおる【嫌いな食べ物】ピーマン【お気に入りスポット】秋葉原【尊敬する人】スタンリー・キューブリック【座右の銘】撰ばれてあることの恍惚と不安と二つわれにあり(ヴェルレエヌ)【好きなタイプ】色白、童顔、黒髪、何かしらのオタク【嫌いなタイプ】自分を名前で呼ぶ人【子どもの頃の夢】落語家